池田達生オフィシャルブログ

日本共産党上尾市議

出会い

たくさん集まりました。


第2回目のほっとホットタイムIN上尾 5月20日(金)午後4時から6時50分まで開かれました。
場所は、上尾市役所近くのASA上尾中央ビル3F。

各地で子ども食堂が開かれています

ここは食堂の機能はないけれど、みんなで一緒にいただきますをする会です。

子どもたちが安心してくつろげ、宿題を持ってきてやってもいいし、いろんな遊びをしてもいいし、歌ってもいいし、本を読んでもいいし、そして、最後はおいしい温かいお弁当をみんなでいっしょに食べます。
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今日は、こどもたちが前回よりも多く集まりました。付き添いのみなさんも大勢参加されました。

民話のカメさんのお話しには、すーっと引き込まれていました。
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そして最後は、お楽しみの、お弁当の時間。温かーい、おいしい。たのしくみんなでいただきました。

私は、前回につづいて、アコーディオンでウエルカム演奏をしました。子どもたちが集まるまでは、童謡や、唱歌をみんなで歌いました。
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また来ようね。
付き添いやスタッフのみなさま。お疲れさまでした。


来月は、6月17日(金)午後4時から6時50分まで。同じ会場で開く予定とのことです。
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写真提供の平田さん、斉藤さんありがとうございました。

この本の、書き出しを見てみよう。
 「1966年3月13日
    僕がフォークソングに興味を持ったのは、昨年(65年)夏ごろからです。」とあります。

私が、あかつき印刷に入社したのは、1965年3月。6月に職場の先輩からアコーディオンを借りて、合唱団白樺のアコーディオン教室に途中入室した。第2期生。中山英雄先生の手ほどきを受けることになった。
渡君と、ほとんど時期を同じくして、渡君は、フォークソングに、私は、アコーディオンを通じてうたごえ運動にそしてロシア民謡に惹かれていきました。

1965年は、東京オリンピックの翌年で、千駄ヶ谷の国立競技場、東京都体育館、渋谷の室内競技場のプールなど真新しかったっころ。

書き始めの続きで
 「最初はフォークソングのメロディーのよさ・心よさに引かれたのです。そのとき、聞いたのは、ブラザース・フォアーのレコードでした。、
そして、バンジョーという楽器に興味をもちはじめたのでした。そして、バンジョーの名手ピート・シーガーの名をしったのです。」
これは、新たな発見でした。

渡君は、ピートシーガー、ジョーンバエズなどアメリカのフォークソングにどんどん引き込まれていった。
私は、音楽のジャンルでは、ロシア民謡に没頭していくのでした。
 今振り返ると面白いですね。同じ屋根の下でアメリカとロシアにスタートの時から分かれていった。

しかし、渡君と私の思い=根っこは一つだったと知りました。書き出しの2ページ目に
 「フォークソングとはただ民謡としてみてしまっては、間違いだということがわかりました。
そして、本当の歌(音楽)とは、われわれ、民衆と固く結びつかなくてはならないというコトを知ってきました。そして、その中で人民の歌を歌いともにたたかっている多くの人々がアメリカにいることを知ったのです。
 彼らは、自ら作詞・作曲をして歌い、また、たたかいの中でうまれた歌をステージで歌いました。そしてそれらの歌は社会の色々な問題を痛烈に批判し、抗議している。そして住みよい社会をつくろうと努力し、たたかっているのです。そして、その代表的な人々がピート・シーガー、ジョン・バエズ、ボブ・デュラン等です。」

まさにうたごえ運動の考え方と同じです。17歳の渡君がこのような明確な文書を書いていることは、すごいですね。

渡君は、よく、取材をしていました。
当時のあかつき印刷は、日本共産党本部の食堂を利用していました。幹部の方々と一緒でした。その中にはアメリカの事情に詳しい方もいらして、渡君はよく話し込んでは、メモを取っていました。その姿は、今もよく覚えています。いろんな専門家から貪欲に知識を吸収している様子が、この本の中でも出てきます。

次回は、渡君とのあかつき生活、またとんでもないいたずらを紹介しましょう。





























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10代後半から、22,23歳ごろまで故高田渡君と青春時代を同じ会社で過ごした。
なぜか、高田君とは馬が合った。

彼のバンジョーと私のアコーディオンが実によく合い、響いた。

仕事を終えた後、アメリカの「赤い河の谷」や、フォスターの名曲を一緒によく弾いた。
もともとアコーディオンの音色は明るい。バンジョーはそれに輪をかけたように倍にも、3倍にも気分を明るくしてくれる。

私は18歳であかつき印刷に入社。翌年渡君が17歳で入社した。
渡君は「文選」という職場。私は、次の工程の「植字」(「ちょくじ」と読む)職場。
原稿を片手に、鉛の活字を1本1本文字がずらりと並んだケース(馬という)から選びだして、小さな木の箱に整理していく仕事が渡君の「文選」の仕事。
次の工程が、「植字」。割り付けにもとづいて、紙面を組み立てる仕事が私の職場。
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最近、高田渡君の本が出版されたことを知人から聞いた。すぐに取り寄せた。
B5判372ページ。「マイフレンド 高田渡青春日記 1966-1969」(高田渡著、高田漣編。河出書房新社)
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驚いた。ともに過ごしたあかつき印刷でのことが詳細に記録されている。悩み、苦労、喜び、そして、フォークソングのことがびっしり記録されている。
登場人物、社内の人間関係、日常の生活、どれもはっきり懐かしく思い出す。
なんと、私「池田くん」も数回登場。

次回から、渡君の思い出、あかつき印刷の仲間たちの思い出を少しづつ紹介していきます。


















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4月29日、新緑の爽やかな上野公園に、1000人のうたごえが響きました。
恒例の第15回ともしび春の大うたごえ喫茶、私はアコーディオンで伴奏陣に加わりました。
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新装改築後初めての水上公園舞台。会場リハーサルの時から、胸はわくわく。入場のみなさんを迎えるウエルカム演奏でスタート。見る間に会場は埋め尽くされました。
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昨年の9月からの議員候補者活動、そして議員活動へ。そんな中、ともしびも休団中でしたが、今回伴奏の声をかけていただきました。清水さん、たみちゃんほか関係者のみなさんありがとうございました。また、ともしびアコーディオン合奏講座での仲間たちも暖かく迎えてくれました。感謝。感謝。

おお牧場はみどり、カチューシャ、夏は来ぬ、ここに幸あり、銀色の道、青春時代、坊がつる賛歌、花は咲く、アメイジンググレイス・・・リクエストに応え人気の歌の数々、ときおり、若葉の舞う会場にうたごえはひびきわたりました。

休憩中は、会場で交流。長野は、松代の大島博光記念館併設の「はなや」のうたごえ喫茶の滝沢さんら、またピアノ伴奏をしていただいた元信州大学の中山先生、蕨のうたごえ喫茶の小川さんら、そして元あかつき印刷の仲間たち、ほか大勢のみなさんと懐かしく交流しました。年に一回のクラス会の様でした。
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みなさん、お元気で。また会いましょう。



いよいよ今月29日に迫った恒例の「ともしび春の大うたごえ喫茶」。
3年ぶりの上野公園野外ステージでの開催。

昨日、伴奏陣、司会のみなさん合同のリハーサルが開かれ参加しました。

昨年の9月から、上尾市議選の候補者活動に入り、ともしびアコーディオン合奏講座は、休団中でした。
都合ついたら、舞台でアコーディオンを弾いてとの要望。
議会もなく、日程も空いていたのでOKしました。
また、みんなと一緒に演奏できる。なんて幸せなんだ。
私は、第1ステージ、12:15分~13:00に出演します。

予定されている曲、リクエストされそうな曲目の合わせ。ピアノ、ドラム、ヴァイオリン、ギター、そして、アコーディオンは、たみちゃんといっしょ。約2時間、みっちり合わせのチェック。
当日はどんな曲がリクエストされるか楽しみです。

チケットは、自由席が若干あります。みんなで行きましょう。
どんな出会いがあるか、いまから楽しみです。



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