池田達生オフィシャルブログ

日本共産党上尾市議

たくさん集まりました。


第2回目のほっとホットタイムIN上尾 5月20日(金)午後4時から6時50分まで開かれました。
場所は、上尾市役所近くのASA上尾中央ビル3F。

各地で子ども食堂が開かれています

ここは食堂の機能はないけれど、みんなで一緒にいただきますをする会です。

子どもたちが安心してくつろげ、宿題を持ってきてやってもいいし、いろんな遊びをしてもいいし、歌ってもいいし、本を読んでもいいし、そして、最後はおいしい温かいお弁当をみんなでいっしょに食べます。
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今日は、こどもたちが前回よりも多く集まりました。付き添いのみなさんも大勢参加されました。

民話のカメさんのお話しには、すーっと引き込まれていました。
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そして最後は、お楽しみの、お弁当の時間。温かーい、おいしい。たのしくみんなでいただきました。

私は、前回につづいて、アコーディオンでウエルカム演奏をしました。子どもたちが集まるまでは、童謡や、唱歌をみんなで歌いました。
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また来ようね。
付き添いやスタッフのみなさま。お疲れさまでした。


来月は、6月17日(金)午後4時から6時50分まで。同じ会場で開く予定とのことです。
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写真提供の平田さん、斉藤さんありがとうございました。

今年も岩手県の山奥にイワナ、ヤマメ、山菜を求めて行ってきました。

5月11日、昼過ぎ大宮駅から東北新幹線に乗車。盛岡駅から約1時間半。銀河鉄道花輪線の某駅には、夕方5時過ぎ到着。釣りの定宿では、おかみさんが懐かしそうに温かく迎えてくれました。

翌12日早朝4時半、宿の駐車場で青森陸奥横浜から徹夜で車を走らせてきた元同僚のA氏と合流。
A氏は、私の釣りの師匠。いつもわたしの数倍は釣り上げる達人。フォークギターをたしなみ高田渡の大ファンでもある。
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早速身支度を整え、いざ渓流へ。冷たい雨と強い風に見舞われたが、釣りへのはやる気持ちがはるかに勝る。
朝8時までの釣果は、私が6匹、師匠は14匹。

こうして始まった今回の釣行。2日目は、東京在住の新聞記者のO氏も合流。O氏は、文化面担当のベテラン記者で、日本の文化人に広い人脈を持つ。紙面にも、取材記事がよく掲載される。釣果より山菜をたくさん採っていくことを奥様から義務付けられているとのこと。そして、こよなくお酒を愛している。
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2日目の昼過ぎからは、初夏のよう。やっと芽吹いたばかりの木々、いろんな若い葉の淡い色に包まれてなんて幸せなんだ。釣りも忘れてあたりの山々を眺める。

2日間朝4時起き、5時から夕方陽が沈むまでたっぷり渓流に。そのうち約3時間は、山菜とり。我々グループの発見した秘密の急斜面一面の自然のウド畑。今年も取りきれないほど。
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ハプニング  その1  (毎年、何かどうか必ず思わぬことが起こります)
  ミツバチ集団に襲われる。
  林道の脇に食べごろのタラの芽数本発見。取り始めたら顔の周辺にぶーんぶーん羽音。アブにしては時期が    早いなと思いふと脇の藪を見ると、ミツバチの養蜂箱が数十個。ますます数を増す、これは危ない。帽子で払いのけ退散。少し離れて帽子をかぶったとたん、頭のてっぺんにチクり。帽子の中に1匹残っていたのだった。額も数か所さされてしまった。

ハプニング  その2    キジの逆襲
  山の中腹にタラの芽を発見。急斜面を上る。木の手前に一抱えぐらいの岩があった。そこを超えたとたん、バサバサバサーと大きな塊が私に向かってきた。うわーととっさにのけぞった。なんと、キジが飛び立っていった。
キジもまさか人が来るとは、思ってもいなかったのだろう。キジ君わるかったなー。ごめんね。

ハプニング  その3  全身屈伸浮遊入浴法開発
  冷たい沢に浸かっていると体中は冷える。宿のお風呂はほんとに楽しみの一つ。風呂が沸いたよーとのご主人の声。待ってました。シャワーで体をあらい浴槽に。アレー。湯の下の部分は冷たーい。なんだ沸いてないよ。全身を折り曲げなんとか暖かい上の層に浮かせた。少し温まったからと、体を納得させ着替えた。しかし、なんかおかしい。そうか、旅館だから女性・男性用の風呂があるはずだと思い出し、隣の風呂場を見る。なんと、こちらは、目いっぱいあふれるように湯がこぼれていた。がっくり。ふたたび着替えて入りなおしたのでした。年は取りたくないなー。

 たっぷり、一年分の英気をいただいた渓流行でした。宿のおかみさん、ご主人、そして渓流の悪友たち、みなさん元気でねー。また来年も楽しませてください。
  
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  帰りの車窓から望む岩手山。ふもとは、田植えの準備中。
  

 
 










今日は、先日2日に配布した戦争法廃止を求める署名の刈り取り、訪問活動を行いました。

3月の地元の南中学校の卒業式での、卒業生の答辞の合唱構成があまりにも感動的だった。
「この卒業生たちに将来持たせるのは、銃ではない、夢と希望 」と私の署名協力のお願いチラシと、署名用紙をセットにし、約135戸に配布。
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地元の日本共産党の支部のみなさんで訪問しました。36軒、53筆も集まりました。留守のお宅もありましたが、快く署名をしてくださる家が多かった。中には、池田自宅のポストへ入れてくださった方や、すでに家族の分を記入してある方もいました。

訪問先では、上尾道路が最近開通したが、車の音がすごくなった。地域に公園がない、など、改善の要望も出されました。
共産党への要望もだされました。

たくさん署名が集まってみんな元気で、もっともっと、地域の中にはいり、要望、声を聞いていこうと決意を新たにしました。

お疲れさまでした。

この本の、書き出しを見てみよう。
 「1966年3月13日
    僕がフォークソングに興味を持ったのは、昨年(65年)夏ごろからです。」とあります。

私が、あかつき印刷に入社したのは、1965年3月。6月に職場の先輩からアコーディオンを借りて、合唱団白樺のアコーディオン教室に途中入室した。第2期生。中山英雄先生の手ほどきを受けることになった。
渡君と、ほとんど時期を同じくして、渡君は、フォークソングに、私は、アコーディオンを通じてうたごえ運動にそしてロシア民謡に惹かれていきました。

1965年は、東京オリンピックの翌年で、千駄ヶ谷の国立競技場、東京都体育館、渋谷の室内競技場のプールなど真新しかったっころ。

書き始めの続きで
 「最初はフォークソングのメロディーのよさ・心よさに引かれたのです。そのとき、聞いたのは、ブラザース・フォアーのレコードでした。、
そして、バンジョーという楽器に興味をもちはじめたのでした。そして、バンジョーの名手ピート・シーガーの名をしったのです。」
これは、新たな発見でした。

渡君は、ピートシーガー、ジョーンバエズなどアメリカのフォークソングにどんどん引き込まれていった。
私は、音楽のジャンルでは、ロシア民謡に没頭していくのでした。
 今振り返ると面白いですね。同じ屋根の下でアメリカとロシアにスタートの時から分かれていった。

しかし、渡君と私の思い=根っこは一つだったと知りました。書き出しの2ページ目に
 「フォークソングとはただ民謡としてみてしまっては、間違いだということがわかりました。
そして、本当の歌(音楽)とは、われわれ、民衆と固く結びつかなくてはならないというコトを知ってきました。そして、その中で人民の歌を歌いともにたたかっている多くの人々がアメリカにいることを知ったのです。
 彼らは、自ら作詞・作曲をして歌い、また、たたかいの中でうまれた歌をステージで歌いました。そしてそれらの歌は社会の色々な問題を痛烈に批判し、抗議している。そして住みよい社会をつくろうと努力し、たたかっているのです。そして、その代表的な人々がピート・シーガー、ジョン・バエズ、ボブ・デュラン等です。」

まさにうたごえ運動の考え方と同じです。17歳の渡君がこのような明確な文書を書いていることは、すごいですね。

渡君は、よく、取材をしていました。
当時のあかつき印刷は、日本共産党本部の食堂を利用していました。幹部の方々と一緒でした。その中にはアメリカの事情に詳しい方もいらして、渡君はよく話し込んでは、メモを取っていました。その姿は、今もよく覚えています。いろんな専門家から貪欲に知識を吸収している様子が、この本の中でも出てきます。

次回は、渡君とのあかつき生活、またとんでもないいたずらを紹介しましょう。





























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10代後半から、22,23歳ごろまで故高田渡君と青春時代を同じ会社で過ごした。
なぜか、高田君とは馬が合った。

彼のバンジョーと私のアコーディオンが実によく合い、響いた。

仕事を終えた後、アメリカの「赤い河の谷」や、フォスターの名曲を一緒によく弾いた。
もともとアコーディオンの音色は明るい。バンジョーはそれに輪をかけたように倍にも、3倍にも気分を明るくしてくれる。

私は18歳であかつき印刷に入社。翌年渡君が17歳で入社した。
渡君は「文選」という職場。私は、次の工程の「植字」(「ちょくじ」と読む)職場。
原稿を片手に、鉛の活字を1本1本文字がずらりと並んだケース(馬という)から選びだして、小さな木の箱に整理していく仕事が渡君の「文選」の仕事。
次の工程が、「植字」。割り付けにもとづいて、紙面を組み立てる仕事が私の職場。
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最近、高田渡君の本が出版されたことを知人から聞いた。すぐに取り寄せた。
B5判372ページ。「マイフレンド 高田渡青春日記 1966-1969」(高田渡著、高田漣編。河出書房新社)
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驚いた。ともに過ごしたあかつき印刷でのことが詳細に記録されている。悩み、苦労、喜び、そして、フォークソングのことがびっしり記録されている。
登場人物、社内の人間関係、日常の生活、どれもはっきり懐かしく思い出す。
なんと、私「池田くん」も数回登場。

次回から、渡君の思い出、あかつき印刷の仲間たちの思い出を少しづつ紹介していきます。


















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